『僕ノ町』
2021年11月17日 / Topics
僕ノ町ハ金木町デアル。五所川原ヲノゾイテハ北郡第一ノ町デアル。町ニナツテカラマダ年ガ淺イケレドモ商工業ノ發達ハ目ニ見エル。
金木ハ町トシテ十分其ノ價チガアルト思フ。分署ハ近頃新築サレ、郡下一ノ建築物ト稱セラレテ居ル。役場、劇場モヒキツヾキ群下一、ニヲ爭フ大建築物デアル。醫者ダツテ一、二人ハ居ルカラ不足ハナイシ、宿屋ダツテチヨツトカゾヘテモ折ツタ指ヲオコサナイコトハナイ。タヾ停車場ハナイ。ソレバカリハ五所川原ニ頭ヲサゲネバナラヌ所ダ。ソレ以外ノモノハ決シテ五所川原ニハ負ケナイ。我ガ町ノ名物ハ競馬場トサイノ河原デアル。コレバカリハ他町ニホコツテモ尚アマリアルモノデアル。名産ハまくわうりデアル。コレ叉其ノ美味ナルコト、叉々他町ニホコルニ足ルモノデアル。
僕ハコレホドヨイ町ニ生レタ(コト)ヲ無上ノ喜ビトスルノデアル。
(二月六日)
大正12年、13歳の津島修治少年が傍島正守先生へ提出した綴り方(作文)である。
今日は修治少年が誇りとした競馬場の名残りを紹介しよう。
かつての競馬場の今は弘前大学の採草地だ。
現在と変わらぬ規格の競馬場だそうだから、一周1マイル(1,600m)~1,800mで、サラブレットやアラブが疾走していたそうだ。おいらが若い頃にはコーナーも残っていたのを覚えている。
流転の果てに芦野公園キャンプ場に置かれた巨大石碑。実に趣がある立派なものだ。
津島文治、高橋弥左衛門、今平次郎、伊藤豊吉、山口甚三郎
今に至っても不思議な縁がつながっているものだな・・・ため息が出る。