水害の記憶
2022年7月12日 / Topics
昭和18年の大水害の痕。
天気予報では「ところにより」って曖昧な言葉がよく使われるが、実際に雨雲レーダーを見ているとチギレた雨雲や帯状の雨雲があちこちに豪雨をもたらしている。
津軽は秋田県境から津軽海峡までだから、「ところにより」は日常的だ。
自分の記憶を辿るだけでも大きな水害はずいぶんあった。
特にねぶたの後半やお盆の13日は大洪水が頻発している。
古い話だが、昭和18年8月13日の集中豪雨はすさまじく、250㍉を越える降雨量で、斜陽館がある高台地区を除けば、岩木川まで一面が海のようになったそうだ。
太宰治は小説「津軽」や「ロマネスク」にもこのことを書いている。
私の母の記憶も同じだ。
さらに今は山全体の保水力がなくなっているし、金木川も町なかを除けば原始河川のままだ。
線状降水帯など来ようものならあっという間に洪水になる。
自分の勤務時代も芦野公園から救助のためにトラックで手漕ぎボートを運んだことが複数回あった。
自分が遭遇した豪雨の記憶の中の一番は昭和50年8月5日の深夜、青森ねぶたの帰りだった。
異様な恐怖を感じる降り方で、きっと何かが起こると直感した。
案の定、岩木山百沢で巨大土石流災害が発生し多くの人が亡くなった…思い出すたびに悲しい。
ねぶたとお盆は要注意だ。
水害前の古い自宅周りの写真。山の丸太も製材所の丸太も全部流された。