トレイルの舞台となる奥津軽は、文豪太宰治と津軽三味線芸能を育んだ土地。
太宰治は、五所川原市金木町で生まれ、「走れメロス」「人間失格」をはじめ、数多くの作品を輩出し、小説「津軽」では故郷への思いを綴っている。
また、金木は、津軽三味線の始祖「仁太坊」( にたぼう)が三味線音楽に独特の奏法を取り入れ、その原型を作った地でもある。
実はこの奥津軽に、これら文学・芸能を育む経済的礎を創り上げたのが、青森ひば林の恵み。明治以降、青森ひばは、網目のように産地に巡らされた森林鉄道によって山出しされ、奥津軽の経済は木材景気に支えられていた。
その背景で大地主や木材業者らが手を結んで地域経済を支配する。
太宰治の生家旧津島家はその地主豪商の代表格。太宰文学は豪商の家に生まれたことへの葛藤から生まれた文学といっても過言ではない。一方で、奥津軽の豪商たちは、津軽の芸能を庇護し、津軽三味線という独自の音楽を育てていく。
太宰治は、小説「津軽」の中で、昭和19年5月にハイキングに出た際に、「アヤに案内されて、金木川に沿って森林鉄道の軌道をてくてく歩いた。軌道の枕木の間隔が、一歩には狭く、半歩には広く、甚だ歩きにくかった」と記述している。
奥津軽から消滅した森林鉄道は、当時、金木の暮らしの中に根付いていたのである。
青森ひば林と森林鉄道軌道跡トレイルを歩く。自然の中を心地よく歩いていけば、きっと津軽三味線の音色も聞こえてくるはず。
奥津軽の歴史・文化に触れ、自然の営みに癒される、それが奥津軽トレイルの醍醐味なのだ。
天然の薬効成分を多く含み、「腐りにくく、耐朽力がある」「虫がよりつかない」「抗菌効果が高い」「リラックス効果がある」など、その効能が注目されている。1152年に建立された世界遺産「平泉中尊寺金色堂」をはじめ青森県内でも「岩木山神社楼門」(1628年建立)、酸ヶ湯温泉「千人風呂」などに使われている。
近代に入り、大都市圏での木材需要の急増により、明治43年に蒸気機関車に牽引された青森ひば運材列車の運行が開始。津軽森林鉄道は日本初、そして最長といわれ、最大延長は約320㎞に及び、奥津軽を毛細血管のように張り巡らされた。モータリゼーションの発達により、昭和42年にその歴史に幕を閉じ、津軽森林鉄道の勇姿は消えていく。