「冒険家 風間深志さんから教わったこと」|小タヌキのウェルネスコラム第11回

前回のコラムでは、元英国ガーデンデザイナーズ協会会長ジョン・ブルックス氏の言葉「土地の持つ魂を大切に」について記載させていただいた。今回は、もう少し、この「土地を持つ魂」について掘り下げようと思っていたが、10月13日14日に開催するイベントに冒険家風間深志さんを招へいすることもあり、その告知もかねて、「地域づくりの感動請負人に!」とテーマに仕事をしてきた私が、自然との関わりの考え方やチャレンジし続ける生き方という点で影響を受けた風間さんについて書き綴りたいと思う。

今まで、かなぎ元気村では、DAZAI健康トレイルを提供してきたこともあり、ウェルネスプログラムの体験見本市「津軽海峡圏ウェルネス博」に4回、携わってきた。この体験博も少しマンネリ化してきたことも踏まえ、来年度には、スケールアップして、縄文から受け継ぐ地域資源を活用し、訪れた世界の人々をWell-Beingに導いていく「津軽海峡圏Well-Being博」を展開していくこととした。

準備年の今年、シンポジウム&エクスカーションを実施するのだが、そのゲストに、世界的な冒険家でライダーの風間深志さんを迎えて、「Well-Beingを求めて、素晴らしきかな冒険の旅」と題してスペシャルトークをすることになったのだ。

「ガハハッ!キヤさんのんでる?!」

このイベントの打ち合わせで、久しぶりに風間さんの事務所を訪ねた。あった瞬間、豪快な笑いと雰囲気に引き込まれていく。かなぎ元気村の囲炉裏から酔っぱらって風間さんに電話を数回、「青森に来てくださいよ~」っとおねだりしたこともあり、この言葉が飛び出してくる。「そんなにいつも酔っぱらってないですよ!」と私…

結局、コロナ禍前に一度、立佞武多の運行をお手伝いする体験の時に参加していただき、かなぎ元気村に滞在していただいたのだが、あれ以来の再会である。

少しだけ風間さんのプロフィールを紹介しておこう。82年にパリ・ダカールラリーに日本人として初参戦、そして84、85年世界最高峰エベレストに挑み世界高度記録樹立、87年に北極点、92年に南極点に。いずれもバイクで到達しているのだ。北極点は氷山のつながりみたいなものだから道があるわけではない。バイクを担いで北極点までいったという逸話があるくらい、無謀な人というか、破天荒な人というか…

そして、これらの冒険から風間さんが学んだことは、自然の中での人間の生き方や家族の大切さ。1988年、風間さんの思いに賛同した仲間たちが集まって、NPO法人地球元気村が誕生する。宇崎竜童さんや椎名誠さんなど、さまざまな方々があらゆる職種や利害からは離れ、心をニュートラルにして「遊びの体験を通じて自然に触れ、理解し、本当の元気を取り戻す」ことをテーマに現在まで、粛々と活動を続けている。

さて、話を戻そう。風間さんに初めて出会ったのは、1993年。リクルートがゼクシィを創刊し、当時のゼクシィは「出会い・つきあい・結婚」がテーマで、その出会いの場を提供していく富士山麓田貫湖で開催されたアウトドアイベントのイベントをプロデュースしたのがきっかけである。そのトークゲストが風間さんだったのである。

そこには男女40名くらいの参加者が集まっていた。いわゆる合コン、当時でいう「ねるとん」イベントである。男女が一緒にカヤックを楽しみ、その後は、アウトドア料理体験、そして風間さんが焚火を囲んだ輪の中に登場、トークショーが始まる。

「いやあ、冒険で何度も、もうだめかと思うことがあった。でもその時に思い浮かべたのは、かあさんなんだよね。やはり、母親というのは絶対的な存在なんだね。家族の中心は母親だね。そして家族を支えるのが、おとうさん。それが、そもそも人間の根本なんだろうね」。炎を囲みながらの風間さんの話は、ウルウルを誘う。そう、家族、そして地域コミュニティ、絆やつながりを大切にすることが人間にとっては大切なんだということを冒険のエピソードから教えてくれたのが風間さんだったのである。

その後、世界自然遺産登録後の白神山地を舞台にした北東北子ども環境サミットのゲストでも来ていただき、風間さんに地域づくりの現場に来ていただくことが増えていった。

「つどい」をいう場をつくり、風間さんを呼んでは、炎を囲み、車座になって話をする、時には元気村の特別講師の宇崎竜童さんが来てくれ、元気を取り戻す音楽を披露してくれる時もあった。

自然の中で遊び、音楽を聴き、奏で、自分の叡智を広げ、それが生きる力・糧=元気をつくっていく。遊びの中で、学び、気づき、感動、共感が、ひとりひとりのポジティブな行動につながり、今でいう「地球沸騰化」を歯止めとなる小さな循環をつくっていく、そんなことを風間さんはしっかりと教えてくれた。でも誰かが水先案内人を務めないといけないということも。

2004年。風間さんは再びチャレンジしたダカール・ラリーでの事故により左足に機能障害を負う。病院にお見舞いにいくと、焦燥感に溢れ、別人のようになっていた。でもそのチャレンジスピリッツは蘇っていく。その後、再び、障害を抱えながら、息子さんの晋之介さんとパリ・ダカールラリーに参戦するのである。

出発前の激励会で、風間さんの「ガハハッ」の復活を見たときには、やはり自然を楽しむたい!と突き詰める人は規格外だなと背筋がゾクゾクした。こういう人がいることが、きっと僕らを前のめりにさせてくれる、そして自分も少しはそういう役割を担いたいと自分の立ち位置を見つめ直したことを覚えている。

ちなみに、今のかなぎ元気村のテーマは奥津軽のフィールドでの大人の遊び場づくり。「大人だけ」「大人しか」ではなく、大人がしっかりと遊ぶ叡智を持っていれば、家族が楽しめ、その地域のすべて人たちも楽しめるということ。そして自然と共生するという意識が育まれれば、大きな課題を改善できるということ。それを伝えていくのがかなぎ元気村。・風間さんの考え方を踏襲していると自負している。

そんな風間さんの考え方に触れる機会があります。是非。みなさんお越しください。

地球元気村のホームページはこちら→https://chikyugenkimura.jp/

津軽海峡圏Well-Being博はこちら→ https://tsugaruwellness.com/

2023.9.22

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