一般社団法人 かなぎ元気村 メールマガジン6月号
6月21日は夏至でした。夏至とはその名の通り夏の入り口で、一年で一番昼の時間が長い日になります。自分のような貧乏性にとって、日のあるうちは外で働かなきゃという習性が身についてしまって、夕暮れ時には疲れ果て、入浴も面倒くさくなってシャワーで済ませてしまう悪循環が続いています。こうなるとなかなか疲労感が抜けませんね…
おまけにビールやハイボールの消費量がいつもの倍以上になり、破滅型の傾向はなお一層強まります(笑)
こうして肉体労働が出来て美味しくお酒を飲んでる内はまだいいのですが。冷静に周りを見回すと自分も含めて高齢世帯ばかりで、あちこち草に埋もれた無人の家屋が年ごとに増えているのは悲しい現実です…
さて、6月は花の季節で、個人的には大好きです。特に山野草や高山植物は自分の足で歩かなきゃ見れないわけで、こうした楽しみをもっと皆さんに知ってもらいたいと、奥津軽トレイルではそうしたフィールドを意識してご案内しています。
これからどんどん陽射しが強まると、森は「緑の日傘」になりますし、木漏れ日に包まれて一日を過ごすのは健康生活に絶対必要なことだと気が付くでしよう。
いざ、行かん、ヒバの森の中へ!!
一般社団法人かなぎ元気村では、みなさんのそばにいつも『かなぎ元気村』ということでメルマガを配信していますが、クマのメルマガについては項目が多くて長すぎるとのご指摘があり、今回から簡素化することにしました。
元気村の日常や奥津軽トレイルなどはFacebookやInstagramでも発信していますので、そちらからもご笑覧ください。
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【目次】
1.6月は太宰月間
2.シリーズ「記憶の断片」その3
3.ウェルネスコラム「神秘と祈りの島、上五島の癒される旅」
4.あとがき
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1.6月は太宰月間
6月は太宰治が生まれた月であり、その生涯を閉じた月でもあります。言うまでもなく、太宰治は日本の近代文学史に名を刻む文豪なのですが、地元においては芦野公園に太宰の文学碑が建立された昭和40年(1965年)前後から評価が変わりはじめたというのが本当のところです。日々の生活に追われ、文学に親しむ余裕などなかった大多数の地元民にとっての太宰治は、それまで大地主ヤマゲンの道楽者としか見られていなかったわけです。
流行り言葉のカミングアウトを単純な意味合いで引用すると、実は、私自身が太宰治の名前を知ったきっかけは文学ではなく、今もときめく大女優「吉永小百合」です。小学生の時に金木町で「斜陽のおもかげ」という映画のロケがあり、おそらくは全町民がロケの野次馬だったのではないかと思われる大喧噪で、金木川の朝日橋が落ちるのではないかと本気で思ったほどでした。金木の学校はその日休みになり、ルンルン気分の先生の引率で自分も含めた児童達は吉永小百合を目撃しています。余計な話ですが、その当時の金木小学校の校長は自分の大叔父でした(笑) 思えば笑い話で、粋なことをしたもんだなと、当時の情景を懐かしく思い出します。
ということで、吉永小百合のついでに太宰治の名を知ったというのが私の太宰文学への入り口であり、こんないい加減な自分がつい近年まで太宰治にかかわる仕事をしていたというのもまた因果なものです。今年は生誕115年と言う節目に当たり、あちこちで作品朗読会などの顕彰活動が行われました。こうした活動が民間レベルで長く続いているのは尊いことであり、地元民として誇りに思います。
さて、生家から分家除籍(勘当)されていた太宰ですが、誰はばかることなく酒を飲んでいた場所が、ここ「かなぎ元気村」の旧傍島家でした。そんな太宰のくつろぎ場所へ皆さまも是非おいでください。なんちゃって太宰治な気分になれますよ。
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2.シリーズ「記憶の断片」その3
引き続き映画の話になりますが、つい先日、もとNHKディレクターで映画監督の佐々木昭一郎氏の訃報を目にしました。この方の作品は一種独特で、まるで寺山修司の世界観を彷彿させます。
さて、この佐々木監督の作品の一つ、昭和46年(1971年)に公開されたテレビ映画「さすらい」 は、アンダーグラウンド、いわゆる情念の世界というものをこの目で見た初めての体験でした。当時の私は高校生でフォークソングにはまっており、時代的にアングラフォークと言うジャンルも好きで、寺山修司の天井桟敷のことも知っていました。映画にはフォークシンガーの遠藤賢司や友川かずきも出ていたし、何よりもこの映画では米軍三沢基地の周辺や金木町でのシーンがかなりあって、そのエキストラとして私の祖母や仲間の婆ちゃん達がいっぱい出ていました。私は祖母にくっついて、ただ無言で古い賽の河原地蔵尊や津軽鉄道のホームでの撮影をじっと見ていました。思えばアングラ旅芸人一座(はみだし劇場)のシーンはアングラ好きの原点なのかもしれません。作品は文化庁芸術祭テレビドラマ部門大賞、芸術選奨新人賞を受賞し、数年前にBSプレミアムで放送されたのを偶然見つけて録画し、当時のことを懐かしく思い出しています。全員黄泉の国へ行ったお婆ちゃん達の顔と名前が一致するのはもう私たちぐらいなのでしょう。
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3. ウェルネスコラム「神秘と祈りの島、上五島の癒される旅」
(一社)かなぎ元気村の理事木谷敏雄(通称奥津軽の小タヌキ)が「日本各地のウェルネス地域の探訪」を綴ります。この小タヌキは、日本各地のウェルネスツーリズムや最近でいうWell-Beingツーリズムによる観光地域づくりの感動請負人(コーディネーター)として各地を飛び回っていて、そこそこ活躍しているらしい(笑)そんな小タヌキのウェルネス地域探訪にお付き合いください。
※ウェルネスコラムはこちら
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4.あとがき
つい最近、アウトドアライターの根津貴央さんが久しぶりに訪ねてきてくれました。
彼は世界のトレイル事情を知る人物で、このところはヒマラヤのグレートヒマラヤトレイル(GHTプロジェクト)にかかわっていて、この後カトマンズで何年か暮らすそうです。
奥津軽トレイルの草創期から大変お世話になっていて、久しぶりの再会に話も酒も弾みました。折角来たのだから久しぶりにどこかへ行こうぜと言うことになり、近場のベンセ湿原に咲き誇るニッコウキスゲの大群落を見てから、日本海の砂丘地帯から海岸へ切れ落ちる最終氷河期(2万8千年前)の埋没林を見に行きました。砂浜を結構歩くので一般の人達は核心部をほとんど知らないと思います。私たちも加盟している日本ロングトレイル協会の「ジャパントレイル」のルート周辺でもあり、少し道草をして楽しむ価値は十分にあります。近ごろ奥津軽トレイルのルートが豪雨被害で寸断していることもあり、こうした別の魅力も発掘してルートへ加味していきたいと考えています。
さあ、また暑い夏がやってきます。元気村では昨年から「梅シロップ」を作っていて、これがまたかき氷にバッチリ合うのです。今年も大量に仕込みますので元気村のかき氷も目当てにおいでください。
いよいよ津軽も梅雨入りしましたが、晴れの日の星空は元気村の魅力の一つです。天の川を見ながら手ぶらキャンプが出来ますので、これからの季節も楽しいですよ。
では、7月も息災にお過ごしください。
2024.6.25