
Well-beingを実感する野崎島(小値賀町)
島を訪ねる機会があるという贅沢、それをこの仕事をしながら実感している。このコラムでも上五島、宮古島の取り組みを紹介してきたが、今回は上五島のお隣の小値賀島のWell-beingを実感させる取り組みについて紹介していきたいと思う。
小値賀島へは博多でゆっくり一杯やってから、23:45発の博多港からフェリー太古に乗り込み、早朝4:40に小値賀港に付くまで爆睡、そして、宿泊する民宿で仮眠をとってから、本日の目的地、野崎島へ向かう。
野崎島のある小値賀町は、プラットフォームとなるNPO法人おぢかアイランドツーリズム協会が立ち上がり、教育旅行で島の暮らしを体験できる島として名を馳せ、2007、2008年『米国のピープル・トゥ・ピーブル国際学生大使』の民泊受け入れで参加した学生のアンケートの結果、2年連続世界一の評価を得て、一躍、世界の教育旅行の先進地となった。
そして、東洋文化研究家アレックス・カー氏プロデュースにより、今の古民家ゲストハウスのはしりとなった島でもある。ゲストハウスも何度かお邪魔しているが、とにかく、島のここちよい時間が流れる場所である。
今回の訪問は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」である「野崎島の集落跡」を活用したコンテンツ開発と2005年から始まった農泊の取り組みのリデザインのアドバイザーとして訪れていた。
話を戻そう。野崎島へ渡る船に乗り込む。港を降り、世界遺産ビジターセンターへ。そこで、「野崎島の集落跡」について伺う。実は野崎島は、7世紀から遣唐使など中国へ向かう南回り航路の要衝の地となっていた。その要衝の地を守る神社が野崎島にある沖ノ神嶋神社。島の神道信仰者にとって特別な存在で、聖地として存在していたという。
19世紀に入り、潜伏キリシタンが、沖ノ神嶋神社の神官と氏子しか住んでいなかった野崎島に移住。神社の氏子として信仰をカモフラージュしながら、2つの集落でひっそりと信仰を守っていった。解禁後、カトリックに復帰し、それぞれ教会堂が建設され、野首教会は今も現存する。
しかし、おおらかな島である。世界中では宗教戦争が絶えない中、ここでは、神道とキリスト教がひとつの島で共存していたのである。八百万の神を信仰する神道だからこそ、これが実現したのであろうか。沖ノ神嶋神社の祭祀には、カモフラージュもあっただろうが、潜伏キリシタンの方々も協力していたという。世界に向けて、こんな暮らし方、生き方を提唱して、争いのない時代を迎えられたらと思う。
ツアーでは、はじめに廃村を見学しながら野首教会へ向かう。潜伏キリシタンの痕跡の残る集落には保存してある住居もあり、当時の島の暮らしが見えてくる。ときどきニホンシカと目を合わせる。現在は、ほぼ無人島で、ムラの住人はニホンシカといっても過言ではない。そして野崎島から広がる東シナ海を望みながら、ニホンシカのパラダイスとなっている野崎島を散策する。
何度か訪れている小値賀島・野崎島であるが、今回の目的は、沖ノ神嶋神社にたどり着くこと。息を切らせながら急こう配をあがっていく。なにしろ、神社の上には王位石(おえいし)という謎の巨大な岩がある。多くの伝説が伝えられる神秘的な場所へやっとの思いでたどり着く。
参道そして神社周辺では、遣唐使の時代からの中国の陶磁器が落ちている。
南航路を戻り、旅の無事に感謝を込めて、来島し、神社に献上していたのではないか。
小値賀町教育委員会学芸員の平田賢明氏は語る。「どの時代の陶磁器なのかが、わかるようになってくるんですよね。そんなことも体験の中で伝えられるとよいですね」。
西海国立公園が指定されて今年で70周年。その記念となるプログラムを現在構築中である。
是非、一度は訪れてほしい島である。
島の住民・ニホンシカが闊歩する集落跡
かつて農業が営まれていた島も今は耕作放棄地へ
現在、凛とした野首教会は工事中。
沖ノ神嶋神社の上のパワーストーン「王位石」
おぢかアイランドツーリズム協会の面々と記念撮影
2025.4.29