
一般社団法人 かなぎ元気村 メールマガジン5月号
夏草や ベースボールの 人遠し 正岡子規
桜や林檎の花に彩られた春が足早に過ぎ、あっという間に初夏の季節になりました。津軽平野の水田は田植えがほぼ終わったようで、見渡す景色からも何かしら落ち着いた雰囲気が感じられます。
金木小学校に近い我が家は放課後になると野球少年たちの声が聞こえ、スポーツ好きな私としては微笑ましい限りです。つい先日、久方ぶりに東京へ行く機会があり、鶯谷から根岸の子規庵を駆け足で訪ねました。正岡子規と言えば長く病に苦しみ続けた印象が強いのですが、実は日本の野球に大きく貢献したことは広く知られており、そもそもベースボールを「野球」と称し、野球を愛した明治の俳人・歌人として野球殿堂入りをしています。子規の生涯を支えた弘前出身の言論人陸羯南(くが かつなん)の日本新聞に野球のルール、用具、方法などについてくわしく解説していますので、その熱意たるや半端ではありません。子規が好きな私としては、坂の上の雲に描かれた根岸の住まいを一目見たいと思い、矢も楯もたまらず極めて短い時間の中でパッと見をしてしまいました。この次は必ずじっくり訪ねたいと心に決めています。
一般社団法人かなぎ元気村では、みなさんのそばにいつも『かなぎ元気村』ということでメルマガを配信しています。今月も奥津軽の小タヌキのコラムやクマのぼやきをお楽しみください。
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【目次】
1.狩猟採集の楽しみ
2.シリーズ「記憶の断片」その14
3.ウェルネスコラム第31回
「 しま気質に触れる、とっておきの小値賀島時間 」
4.あとがき
1.狩猟採集の楽しみ
私の少年時代は自然の中で遊んでばかりの「アウトドアガキ」でした。自宅から金木川が近かったのでしょっちゅう魚獲りをしていて、季節の山菜採りや畑づくりも祖母に連れられて自然に身についたようです。母方の祖父はマタギが本業ではありませんが地元猟友会の会長をしていたことで、今でいうところのジビエ(野生鳥獣肉)は小さい時から口にしていました。ハンター達はプロのマタギと同じく仲間意識が強くて、獲物を仲間たちにも配り自慢話をして飲んでいた光景を思い出します。私は18歳になった年に祖父から狩猟免許を取得させられましたが、祖父の猟銃を引き継ぐことはせず、一度も発砲することなく免許は捨てました。しかし、魚釣りと山菜採りは大好きで、今の季節は気もそぞろになります。ここ数年前から元気村に著名な料理家の女性が春と秋の二回、友達を連れて山菜採りに来てくれるようになり、これがまた楽しいのです。彼女らを見てますと、採ったものは徹底的に「美味しく食べつくそうマインド」ありありで、特にハイカラな食べ方をするわけじゃありませんが、食べることの発想や手法において勉強になりますね。さすがのお姉さま方です。そもそも私が案内する山菜採りは全く苦労しません。裏を返せば簡単に採れる場所しか知らないし、売るわけじゃないので欲張りもしません。つまり我らは縄文人になって平和で楽しい時間を過ごせればいいのです。今度の秋は新米でお酒を造ってキノコを肴にして飲むんだと張り切ってますのでこの先が楽しみですね。どぶろくも土着の生活文化ですから守らねばなりませんし(笑)
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2.シリーズ「記憶の断片」その14
つい先日、東京上野駅構内で低い天井の通路に懐かしさがこみ上げました。特に13番~17番ホームは北国とつながる夜行列車の発着場所で私にとっても思い出深いところです。今の13番ホームは豪華クルーズ列車「TRAIN SUITE 四季島」の専用ホームなのだそうで、その変わり様に驚きました。考えてみれば今の日本は新幹線や空路が発達してから夜行列車や寝台列車は消滅してしまったわけで、東京で愚かな学生生活をしていた私にとって青森につながる夜行列車の記憶はカラカラ回る白黒フィルムのようなものです。
貧乏生活だったので寝台車に乗れるはずもなく、もっぱら座席の背もたれが直角な急行列車の自由席ばかりでした。列車の名前は、急行だと「津軽」「十和田」「八甲田」で、特急だと「はくつる」「あけぼの」「ゆうづる」「いなほ」が思い浮かびます。
上野駅の構内は雑多な店がひしめいていて、コンクリートの低い天井と染み出た水で湿った床、安酒、焼き鳥、ラーメンなどの匂いが充満していて、何か食べようにも若かった自分たちは二の足を踏んだものです。昔はとにかく「空いてる」という光景をほとんど見たこともなく、今となれば人が多いってことは国のエネルギーそのものなんだなと思わざるを得ません。
「激混み」というところで、私が経験した冬の上越・信越線は凄まじいものでした。スキー客、登山客で座席も通路もぎゅうぎゅう詰めで、宅配も無い時代、道具はすべて持ち歩かなければならないため、大荷物ばかりでしたね。巨大なキスリング(帆布のザック)にピッケルとザイルやアイゼンを括り付けた山屋達はさすがに武士のような気迫が漂っており、スキー客とは全く雰囲気が違うのを覚えています。
昔の別れの場面は、駅のホーム、船の桟橋、バスの停車場とおおよそ決まっていて、愚かな自分にとっても例外ではありませんでした。映画「男はつらいよ」を見てますとそうした時代の郷愁というものが浮かび上がります。さて、皆さんはどうでしょうか。
3. ウェルネスコラム第31回
「しま気質に触れる、とっておきの小値賀島時間」
(一社)かなぎ元気村の理事木谷敏雄(通称奥津軽の小タヌキ)が「日本各地のウェルネス地域の探訪」を綴ります。この小タヌキは、日本各地のウェルネスツーリズムや最近でいうWell-Beingツーリズムによる観光地域づくりの感動請負人(コーディネーター)として各地を飛び回っていて、そこそこ活躍しているらしい(笑)そんな小タヌキのウェルネス地域探訪にお付き合いください。
※ウェルネスコラムはこちら
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4.あとがき
6月に入ると高い山の雪解けも進み、後半になると高山植物も花盛りになります。まだ体力が残っているうちに今年も東北の山を歩いてみたいと思っていて、先ずは白神岳と鳥海山を目標にしています。さらに、みちのく潮風トレイルも何回かに分けて歩いてみたいし、果ては旧津軽森林鉄道と深い関わりがあり、今も現役の登山鉄道として絶大な人気がある台湾の阿里山森林鉄道と台湾ヒノキの森へ行きたいと夢見ています。つい先日、私たちとかかわりが深い台湾女子が「お父さん、夢は実現させなきゃダメだよ」私が連れてくからと言って具体的な計画と予算まで作ってくれました。さて、この冬どうしようかと半ば本気になっているところです。
有難いことに、8月2日からのねぶた祭り期間中とお盆前の10日まで元気村は満員御礼となりました。取り回しは容易ではありませんが、リピート率が年々高くなっていて、先日は昨年に引き続きアメリカのテネシー大学の学生たちが来てくれたのもまた嬉しかったです。笑い話ですが、元気村は私を含めて独り身が多いので何かと声を掛け合い、笑顔で仕事をすることが生きがいなのではないでしょうか。LINEネットワークが効力を発揮しています。まるで老人コラムのようですみません(笑)
6月は12月と並んで休日のない月ですが、6月の場合は何かと落ち着いた感がありますので休息を決め込むのもよろしいかと思います。皆様6月も息災でお過ごしください。
2025.5.30