一般社団法人 かなぎ元気村 メールマガジン11月号
冬の始まりを意味する立冬。今年は11月7日でした。最近は季節感がおかしくなってきていて、春と秋が無くなったのではないかという地域もあるほどです。ここ津軽ではこの頃から冬支度が始まるのですが、私たちの元気村は例年この辺りが結構忙しくて、今年も仕事を二分してどうにかこなしていました。私は奥津軽トレイルのファンになった札幌からのグループを2日間ご案内し、もう一チームも2日間にわたり台湾の自転車専門誌の方と、同じく台湾からの一般モニターを錦秋の野山と日本海の砂浜ライドをご案内していました。元気村の厨房の方もそれらに合わせてトレイル弁当や夜の縄文風料理やら、かなり中味の濃い日々だった気がしますが、しかし、多少忙しくても笑顔全開でいられたのには理由があるのです。
そう!! 私たちは20日~25日まで台湾へ行ってきました。ただの物見遊山とは全く違う、こだわりぬいた視察研修旅行です。しばらくは台湾旅の様子をお伝えしていきますのでお付き合いください。
一般社団法人かなぎ元気村では、みなさんのそばにいつも『かなぎ元気村』ということでメルマガを配信しています。今月も奥津軽の小タヌキのコラムやクマのぼやきをお楽しみください。
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【目次】
1.台湾の外食文化と夜市
2.シリーズ「記憶の断片」その20
3.ウェルネスコラム第37回
「人と自然の共生が生み出した「できたての若い自然」の魅力を実感する五色沼湖沼群」
4.あとがき
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1.台湾の外食文化と夜市
青森空港は台北の桃園国際空港と韓国の仁川国際空港への定期便が運行されており、東北では仙台に次ぐ国際空港なのです。直行便なので乗り継ぎで関西以南へ行くより早くて安いので、この度かなぎ元気村ゆかりの面々とスタッフの合計8名で台湾遠征隊を結成しました。そして遠征隊には台北出身で元気村の座敷わらし2名が現地で合流して強力なサポートをしてくれました。サポートというよりも、二人の台湾女子におんぶにだっこです(笑)
さて、遠征隊の主目的は世界三大登山鉄道と言われる国営の阿里山林業鉄路と国家森林遊楽区(国立公園)での視察研修です。5泊6日の期間中の食事に関しては、都市部から山間部に至るまで日々の三食はすべて屋台か大衆食堂の飛び込みで、各々が身振り手振りとテキトーな笑顔をふりまき、食べてみないとわからないような代物を選ばなければなりません。有名な都市の夜市や食堂ならツアー客向けの表示もあるのでしょうが、我らの行き先は日本人のツアーとは全くかけ離れた場所なので日本語で書いているものはありませんし、そもそも現地の庶民の食文化なのでそこまでの気遣いはなく、冒険的で面白いですよ。
台湾では地方都市でも早朝から普通に屋台が開店していて、昼からはオール開店、夜に至っては通りから路地裏に至るまで夜市全開で、大通りも路地も道端はほぼ屋台です。実際に現地でさまよい歩いた人でなければそのカオスさは理解できないかもしれませんね。我らは津軽衆ですから、「こいだば毎日、朝からばげ(夜)まで、かんごかい(津軽弁・観桜会・桜まつり)だでば・・・」とため息ばかりでした。もう笑うしかありません。
こうした状況は国全体に共通する古くからの食習慣なのだそうで、観光客相手なのではなく、そもそも屋台での外食が庶民の食文化なので家庭ではあまり料理することもないそうです。台湾は夫婦共働きが当たり前で、日本のようにお母さんが食事を作る悪弊?もなく、どこのお父さんも結構やるそうですよ。ご婦人方には好ましい状況ですかね。
おまけに、屋台ではお酒を売ってなくて、夜市には酔っ払いもいません。コンビニから台湾ビールを買って屋台メシと一緒に飲んでるのは我らだけです。飲んべえには不都合な国ですね(笑) でもはまるな~台湾夜市
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2.シリーズ「記憶の断片」その20
確かな年は思い出せませんが、夏の全国高校野球の記念大会ということで、NHKが名勝負の数々や隠れた逸話などを紹介していた番組を見ていた記憶があります。その中の一つで私が深く感動したのは日本統治時代の台湾代表として甲子園に出場し準優勝した「嘉義農林」の物語でした。今の台湾野球の源流とも言えます。
大正7年に開校した嘉義農林は今の国立嘉義大学の前身で、当時の正式名称は「台湾総督府嘉義農林学校」で、農学科と林学科が設置されていたそうです。時を経て園芸科、農産製造科、農業土木科、畜牧獣医科が設置されたそうで、何と我が母校五所川原農林高等学校のかつての専門科と同じで、私の在学時に五農は北奥羽代表として甲子園に出場しています。しかも私自身は林業科卒業なので特別な親近感で番組に釘付けでした。この番組で初めて知りましたが、日本が台湾を統治していた時代は台湾も日本ですから日本人が野球を普及させ、日本人の監督が指揮を執り、日本人・台湾人・台湾の先住民族の混成チームで、あきらめない精神や勝利に対する執着、集中力を鍛えあげて台湾代表として甲子園で準優勝を果たしたのだそうです。
正しく知って欲しいのは、日本が台湾を欧米のように植民地として占領していたわけではなく、日本の一部として現地の人々に接し、分け隔てなく平等な教育機会を与え、優秀な人材は日本の宝として育成していたそうです。野球に関しても野球のうまい日本人だけでチームを作るのではなく、野球初心者の台湾の人たちも一緒にチームを作って、準優勝を果たしたというところに強く感動しました。今回の台湾行で一時でも嘉義市に足を踏み入れたかったのは私の個人的な価値観です。そして、嘉義の夜を徘徊してロータリー交差点のど真ん中で嘉義農林の吳明捷投手の気迫あふれる投球そのままの金色に輝く巨大な銅像を見た時にあの番組の感動を思い出して涙があふれそうになりました。
台湾映画の感動大作『KANO 1931海の向こうの甲子園』ぜひ見たいと思っています。当然ながら日本の有名俳優もたくさん出ているようです。
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3. ウェルネスコラム第37回
「人と自然の共生が生み出した「できたての若い自然」の魅力を実感する五色沼湖沼群」
(一社)かなぎ元気村の理事木谷敏雄(通称奥津軽の小タヌキ)が「日本各地のウェルネス地域の探訪」を綴ります。この小タヌキは、日本各地のウェルネスツーリズムや最近でいうWell-Beingツーリズムによる観光地域づくりの感動請負人(コーディネーター)として各地を飛び回っていて、そこそこ活躍しているらしい(笑)そんな小タヌキのウェルネス地域探訪にお付き合いください。
※ウェルネスコラムはこちら
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4.あとがき
前月号でも触れていましたが、日本の内閣が変わったことで今まで善良な国民が知らなかった闇の世界が次から次と明るみに出てきました。そしてそれを善しとしない国や、それらに従属しているらしき国会議員の正体がSNSであぶり出されてくるのを見ていると、今の日本が土俵際ギリギリで踏みとどまったのがよくわかります。前月号でラグビー精神の核心は、「品位、情熱、結束、規律、尊重」であると書きましたが、こうした崇高な精神をワールドスタンダードにしないと日本も世界も地球そのものも滅びることになるでしょう。
とうとう師走目前になりました。この歳になりますと振り返ってリセットする余裕もありませんので、正しい感覚や信念というものを失くさないようにして前に進むしかありません。先日阿里山の二萬平という場所にある日本人技師の殉職碑の前でつまずいて前のめりに転んでしまいました。幸いにもケガはなかったのですが、笑ってごまかしていたものの、即座のリカバリーができなかったことで身体能力の衰えを自覚しています。
でもまあ、津軽森林鉄道を開通させた後に、この阿里山二萬平の鉄道工事現場で殉職された二宮英雄技師が津軽衆の私を護ってくれたのだと思えば有難いことです。阿里山遠征隊の話はしばらくシリーズで続くことでしょう。そろそろまとまった雪が降るかもしれませんね。皆様、雪道の安全とご自身の健康に留意して一年の締めくくりを迎えましょう。
2025.11.29

