
~天を衝く立佞武多を人力でつなぎ、幸せを呼び込む祭を実感~
「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」と叫びながら、大きな、大きな山車を曳く。
前回コラムで紹介した、青森ねぶた祭に参加した翌日の8月6日は同じメンバーで、五所川原市の立佞武多に出陣!
立佞武多とは、青森ねぶた、弘前ねぷたとともに「青森県三大佞武多」と称される祭。毎年8月4日から8日までの5日間、大型立佞武多3台を中心に、地域の中型・小型のねぷたが、中心市街地の約1.3キロを練り歩く。
かなぎ元気村のある金木駅から津軽鉄道にのって、ガタンゴトンと流れる黄緑の津軽の風景を満喫しながら、津軽五所川原駅へ。そして、軽く、屋台でひっかける。
「この軽く一杯、地元の人たちと同じ祭のTシャツを着て、飲むのがよいね」と福岡で旅行会社を営む仲間。力水をいただいたところで、集合場所である、リニューアルオープンした立佞武多の館へ。
「うわっ、デカっ!」メンバー全員が感嘆。首が痛くなるほどの高みから、太刀を担いだ素戔嗚尊(すさのおのみこと)の鋭い目が見下ろしている。この巨人の前では思わず声が漏れる。この昨年から登場した立佞武多を観覧席から眺めるのではなく、立佞武多の館から市内の運行ルートを、地元高校生らと一緒に立佞武多を動かしていく「曳手」としての参加である。
立佞武多は、高さ約23メートル、重さ約19トン。7階建てのビルに匹敵する巨大な人形灯籠だ。この重さを曳くのだが、御多分に漏れず、祭に参加する若者たちは減少。曳手サポートとして、立佞武多に参戦した。
「荒・清浄」の意味を持ち、身に降りかかる悪しきことを、荒々しい力で祓い清める災厄除けの神様を津軽で曳く(推す)ことになるとは」。熊本からきた仲間が語る。「ヤッテマレ」の荒々しい掛け声も「やってしまえ!」から来ているとか。厄除けの意味もあるのであろう。これも、前々回のコラムで紹介した「伊勢のお木曳」からつながる「おかげさま」のご縁なのだろうか。
立佞武多の歴史は、まさに復活の物語である。明治から大正にかけて、津軽の物資の集散地として栄えた五所川原では、豪商や大地主が力の象徴として巨大なネプタを競い合った。高さ約23メートルの山車は、12キロ離れた金木からも見えたと伝えられる。
電線の普及による高さの制限、戦争、そして2度の大火で、巨大ネプタは人々の記憶から消えていったが、転機は平成5年。豪商「布嘉(ぬのか)」に仕えた大工の家から、巨大ネプタの台座の設計図が見つかったのだ。平成8年、市民有志が募金や材料、技術を持ち寄り、高さ16メートルの「武者」が復活。平成10年には約80年ぶりに祭りとして運行が始まった。
電線の地中化など行政の後押しもあったが、原動力は紛れもなく市民の熱意、津軽でいう「もつけ」魂である。コロナからも復活し、今年の人出は32万1千人。前年を約6万9千人上回ったという。
19時の号砲花火とともに運行が始まると、19トンの巨体をゆっくり、しかし確実に前へ進ませていく。しかし、重い!沿道から「ヤッテマレ!」と声が返ってくるたび、不思議と足が前に出る。沿道の声援こそが、この巨人の推進力だ。お木曳で感じた、みんなで一つのものを動かす一体感がカラダをよぎる!しかし、しかし重い、進まない、ちょっとした坂道に倍の力が必要?!でも高校生ら若い力と息を合わせるここちよさ。
すっかり、五所川原市の「交流人口」となった汗だくのメンバーはみな上機嫌。押す側に回ったことで、すっかり「自分たちの祭り」になったようだ。
夜は金木町に戻り、奴寿司で地域の豪商たちを支えてきたという、津軽の「じょっぱり」が詰まった寿司を頬張る。これもメンバーから感嘆の声!明治の昔、金木から見えたという巨大ネプタに思いを馳せながら、津軽の夏の夜は更けていった。
かなぎ元気村は、今回、祭り期間に高騰するダイナミックプライスには乗らず、通常価格に少しのガイド料を加えた金額で受け入れた。仲間たちのSNS発信で、あちこちから「来年、かなぎ元気村を拠点に立佞武多に参加したい」という声が届いている。
まだ、青森県のねぶた期間、宿泊に余裕がありますよ。確実に目の前に広がるWell-beingを実感しにきませんか?

津軽鉄道で五所川原駅をめざす

立佞武多の大きさに仰天

出陣前の立佞武多「素戔嗚尊」

街中をゆっくりと進む威風堂々な立佞武多


金木町の奴寿司で、じょっぱり寿司に舌鼓 地魚中心のお寿司
地元の高校生と一緒に、ヤッテマレ!

津軽の2つのねぶた祭出陣お疲れ様でした。
2026.10.26

