「んみゃーち」(お帰り)宮古島さるかの里

年度末、地域づくりの仕事をしていると必ず3月は報告会、報告書、そして来年度への提案に明け暮れ、なんと毎年必ず体重が減少する。仕事ダイエットだ!あっという間にもとに戻ってしまうのだが(笑)
唯一の息抜きが、青い空と青い海、そしてやわらかい潮風にふれる時間を思い起こすとき。ホッとするひとときの自分は宮古島にいる。あっという間に消えてしまうのだが…。

 

実は、今までの小タヌキの最南端での仕事が宮古島。2000年に入り、総合学習がはじまり、農家ホームステイが教育旅行の目玉になってきた時代。今から20年前に宮古島を訪れ、その受け入れのしくみづくり、農業体験プログラムづくりをしたのが、きっかけである。多い時は年間1万人近くを農家約60軒で受け入れ、今まで延べ15万人近くの中高生を受け入れてきたという。

 

その受け入れを行ってきたのが『宮古島さるかの里』、代表は松原敬子さん。今やリンゴとマンゴーを送り合う仲である(笑)。
「今では、修学旅行で来てくれた生徒たちが大学の卒業旅行で来てくれています」(松原氏)。沖縄本島で周遊観光をして、宮古島に。宮古島に来た時には「んみゃーち」(お帰りなさい)で迎え、ホームステイをして農のある暮らしを経験する。そして、帰りは涙の別れ。

 

「コロナ禍で0が続きましたが、やっと戻ってきました」。宮古島は、今クルーズ船は月10回程度訪れ、街には中華系の人々でごったがえすという。もともと宮古島の繁華街は小さい。「クルーズ船が入る時は、卒業生たちに来ないほうがよいとアドバイスしているんですよ」。宮古島にもインバウンドのオーバーツーリズムの波が押し寄せている。敬子さんは続ける「意外と地元にはお金が落ちないんですよね」と苦笑い。

 

実は、宮古島さるかの里の60軒を超える農家ホームステイのしくみは約3年かけて構築した。その後も、なぜか忘年会に呼ばれてちょくちょくお邪魔している。今の小タヌキが謎の宴会芸「ギンギラギンにさりげなく」はこの忘年会で磨れたといっても過言ではない(笑)。

 

この忘年会に出ると自分も宮古島の経済効果に貢献できているとつくづく思う。今では一人当たり約1万×1万人が来たとすると約1億円の売上となる。実は、宮古島では、年に2回、お盆の時期と忘年会に受け入れた生徒の数だけ現金で農家に支払われるという。
するとその忘年会の夜はすごいことになる、ホテルの宴会場の催しが終わると、それぞれ懇意の繁華街のスナックへ移動。街が農家の人たちでほぼ借り切られている状態に。もちろん、酔っぱらっている旦那衆にはお金を持たせず、お母さんたちが財布は握っているのだが…おかげさまでその夜はスナックをハシゴ×ハシゴすることになる(笑)。

 

忘年会にご招待された翌日、敬子さんに誘われ、家電量販店に連れていかれる。なんと、朝まで唄っていた人たちと出会う、出会う。
「だいたい翌日はここで買い物よ」(笑)と敬子さん。ほんとに経済効果に貢献しているんだと実感するひととき。その当時はWell-beingなんて言葉は使っていなかったが、今思い起こせば、まさに農家の人たちにとってはWell-beingなひとときがお店に流れている。店員さんも「今年はいつですか?」と必ず敬子さんに聞きにくるらしい(笑)。

 

「今では教育旅行だけではなく、卒業生や一般の人たちも受け入れているんですよ。まさに農泊として。第二のふるさととして通ってくれる人たちも増えてきています、その先駆者は木谷さんだけど(笑)」(松原氏)。
敬子さんとは、宮古島に共感した大人になった彼らに再来訪を促し、宮古島の新しいウェルネスな暮らしぶりに身を置き、当時の仲間を呼び込み、宮古島ファンの裾野を拡げるプロジェクトを展開していこうとしている。「すこやかウェルネス!島エクスペリエンス」を画策中だ。

 

今年は、宮古島に行くと敬子さんに「んみゃーち!」と出迎えてもらえるかな。

 


とにかく気持ちのよい景観

 


敬子さんは「んまや」という宮古そばの店もやっている

 


宮古島行くと必ずチャレンジする「シーサづくり体験」

 


城辺町にあるエコハウスを貸切滞在する

 


宮古島の在来種「宮古うま」

 


農家民泊ではゴーヤチャンプルーを棒葉る

 

2025.3.27

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