
ゴールドラッシュの夢の跡。根羽沢金鉱山遺構を辿るアドベンチャー体験
「夏が来れば 思い出す♪~はるかな尾瀬♪~とおい空♪」で知られる国立公園尾瀬。昨年度は、こちらに伺い、群馬県から尾瀬へ入る片品村の手前に存在した根羽沢金鉱山遺構を辿るアドベンチャーツーリズムコンテンツの造成をサポートさせていただいた。
「実は尾瀬国立公園はダムの底に沈んでいたかもしれないんです」と語るのはJTB群馬支店平石成範氏。今回の取り組みを推進するリーダーである。「尾瀬の土地の多くは東電さんが所有しているんですよね~」。したがって、その尾瀬の手前にあった根羽沢金鉱山の土地も東京電力の土地となっているのだ。その片品村の土地に金鉱山のあったことを知り、高校在学中から調査を始めた人材がいた。
根羽沢廃坑調査隊副長朝倉早也輝氏である。彼が中心となって、同級生らが集まり山を調査して歩いたという。「当時のことを知っている人は少なくなり、記憶を記録へと活動を始めました」。朝倉氏は続ける「はじめは立ち入り禁止のところにも入っていき、東電さんの土地なのに勝手に坑道の跡とかも入っていきました。今考えたら無謀でしたね」。
その調査から紐解かれた歴史、そこにあった暮らしの物語は、分厚い資料となって平石氏の目の前に登場する。平石氏は、その調査をもとに根羽沢金鉱山を舞台に物語を描き、観光コンテンツに仕上げていこうとしたのだ。
あれっ?! 自分たちの奥津軽にも毛細血管のように張り巡らされた津軽森林鉄道軌道跡を朝から晩まで歩き、その軌道跡を見つけるや手に手をとって喜んだ輩がいたことを思い出す(笑)。かなぎ元気村の奥津軽トレイルの活動に似ているので、自分的にはこの根羽沢金鉱山遺構活用については親近感を持って取り組むことになった。
いよいよモニター体験が始まる。
1900年代に入り、この根羽沢金鉱山は発見され、1986年の閉山まで金銀が旧三菱金属をはじめとする企業が入れ替わりながら発掘を行い、最盛期には1000人を超える人たちが、この根羽沢地区に住んでいたという。
「このあたりには映画館にもなった公民館があったんです」と副長の朝倉氏が自分たちの作成したマップをもとに紹介をしていく。「この階段を上がっていくと、所長さんの住宅がありました」。邸宅の基礎跡を見ながら、どんな部屋があったのか、どんな暮らしぶりだったのか、ヒヤリングをもとにしたストーリーが繰り広げられていく。学校跡にたどり着くと、古い写真を見せながら、「写真数枚しか残っていないのですが、運動会など催し物が集落全体で楽しまれていたと聞いています」(朝倉氏)。
さらに森の奥の金鉱山の遺構へ入っていき、朝倉氏の案内は熱がこもっていく。「こちらが選鉱製錬場跡になります。かなり大きな遺構となりますが、戦争が拡大していくにつれ、金鉱山より鉄の需要が高まり、金鉱山は次第にすたれていくのです」。
そして、今は滝のように水が落ちている通洞坑口や温泉宿があったといわれる露天風呂跡などを散策していく。「みんなで温泉復活なんかをプログラムにして、足湯などを楽しむのもありかも」とモニター参加者からも声が上がっていく。そして今は入ることのできない坑道内の写真や調査時の坑道内の動画も見せてもらう。
おそらく、熱い思いを持った朝倉さんのガイドだからこそ、この空間に当時の建築物が浮かび上がってくるのだろうと思う。
昭和に一瞬ではあるが、森の中に繁栄を極めたまちがあった。記憶から消えようとしていたそのまちを復活させようとした高校時代からの仲間たち。その思いを受けてコーディネーターによって旅の物語が編集され、新たな旅人たちを呼び込もうとしている。
次世代へも伝えたい、そんな思いのこもった言葉によって、ゴールドラッシュの夢の跡が今、観光コンテンツとして再現され、すべての人にとってWell-beingな時間が流れるそんな旅が深い森の中を舞台に繰り広げられていくのだろう。
副長朝倉氏が根羽沢金鉱山跡をご案内
邸宅の基礎から当時の暮らしをイメージする
古い写真から学校の跡地について解説
森に突然現れる根羽沢金鉱山遺構
巨大遺構となっている選鉱製錬場跡
根羽沢廃坑調査隊が集めた資料写真
今は滝のようになっている通洞坑口を解説
2025.6.30