
阿里山森林鉄路と津軽森林鉄道との交流がはじまる予感!
さて、昨年のかなぎ元気村の小タヌキの活動で印象的だった2つの台湾との交流から、その一つである台湾をターゲットにした『奥津軽アドベンチャーグラベルライド』モニター体験については前回紹介させてもらった。
今回ご紹介するもう一つの台湾との交流は、かなぎ元気村のクマと小タヌキ、そしてかなぎ元気村に関わる仲間たちと台湾人ガイドのみやこが同行した阿里山森林鉄路の珍道中から「始まるかも?」の交流を紹介していくことにする。
奥津軽トレイルの基盤は、「津軽森林鉄道軌道跡と青森ひば林」であるが、その津軽森林鉄道敷設の陣頭指揮をとった技師の二宮英雄氏は、実は明治44年(1911)の日本統治時代の台湾総督府に出向し、阿里山森林鉄路敷設調査をするために台湾に渡っている。不運にも伐倒木が頭部に飛来する事故で殉職されるが、阿里山には祈念碑が立てられ、今もなお、その功績が讃えられている。
阿里山森林鉄路は、ヒマラヤの麓を走るダージリン・ヒマラヤ鉄道、ペルーのマチュピチュへ至るペルーレイルと並び称される「世界3大登山鉄道」と言われており、その阿里山森林鉄路に乗る、この二宮氏の祈念碑に手を合わせ、そして青森ひばと同成分を持つ台湾檜の森を歩く、これが、この珍道中の大きな目的としていた。
今回のコラムでは、11月20日(木)に台北から始まった5泊6日の珍道中の前半の3日間を紹介していこう。
2日目朝から定番の故宮博物院からの台湾統治時代に問屋街として栄えた迪化街ランチを。午後から台湾高速鉄道で嘉義高鐵駅へ。翌朝、阿里山森林鉄路車庫園区散策後、いよいよ阿里山森林鉄路に乗り、嘉義駅から奮起湖へ向かう。長~い、長い森林鉄道の旅が始まる。熱帯から温帯の森へ変わっていく姿を車窓から見ながら、ゆっくり、ゆっくり阿里山を登ってく。やがて今日の宿泊地、標高海抜1403mにある奮起湖駅へ。
目的の一つである阿里山森林鉄道乗車を達成し、そこで吳明翰Albert氏と出会う。呉氏は阿里山林業鐵路及文化資產管理處に所属し、阿里山森林鉄道と周辺の山林、集落、生態、コミュニティを、温かい写真と自身の経験を通じて記録しており、先頃、写真集『高低差2421mのやまびこ──阿里山林鉄全線紀行』を発表したカメラマンである。
阿里山の優しい笑顔に出会った、そう思わせる呉氏の人柄に感銘しながら、奮起湖にある森林鉄道博物館を紹介してもらう。木材はもとより、阿里山茶などの物資が集積された奮起湖駅の歴史から、阿里山森林鉄路で使われていた機関車の数々まで、丁寧に解説してくれた。駅に溢れる人たちを見ながら「昔は、日本人やイギリス人だけが乗っていた森林鉄道も今や、観光列車そして市民の足として使われる列車となって存在しているのです。日本とのつながりを感じます」。
私たちにとってボーナスだったのが、奮起湖駅の駅長とスタッフに津軽森林鉄道と阿里山森林鉄路のつながりについて伊藤(クマ)代表が紹介する機会を得たこと。伊藤代表の熱のこもった解説に、奮起湖駅のスタッフも耳を傾ける。正確には、ガイドみやこの熱弁でもあったのだが(笑)ほのぼのとした交流の時間が流れた。
別れ際、呉氏から提案があった。
「津軽森林鉄道の資料を今回いただいて、津軽森林鉄道と阿里山森林鉄道がつながりがよく理解できました。津軽森林鉄道と阿里山森林鉄道のある地域の子供たちが森林鉄道を媒介にしてつながり、さらに次世代にこの歴史・文化を継承していきたいですね」
そう、子ども達が自分たちの地域の資源としての森林鉄道が世界の仲間たちとつながるものであると理解できる、そんな交流のプログラムができるとよいと語り合いながら、別れ際、呉氏と硬い握手を交わし、いよいよ明日は阿里山駅に向かう。
ちなみに、こういった交流を進められないか、現在、行政とも話を始めている。
次回は残りの3日間、阿里山の二宮氏の祈念碑を訪れる旅、そして阿里山に沈み、昇る太陽との出会いについて紹介していきたい。

いつも元気なガイド「みやこ」が台北でお出迎え

阿里山森林鉄路でもボールドウィンが活躍@喜儀市

呉氏より奮起湖駅の森林鉄道博物館で解説を受ける

津軽森林鉄道とのつながりを話した後、
奮起湖駅の駅長、スタッフと記念撮影

ループしながら登っていく阿里山森林鉄路

観光客で賑わう奮起湖駅
2026.1.30

