
自らのDNAを感じながら、その土地の持つ光に関わることのここちよさ
コロナ終息後、なかなか訪れることのできなかったパド・ミュゼへ。久しぶりにホースライディングを楽しもうと会社の後輩とパド・ミュゼ@大山流山牧場を訪れようとしたが、その前に七飯町の道の駅なないろ・ななえを訪れたので、その時にふと思ったことを書き綴りたいと思う。ホースライディングについては、また次回にでも。
北海道新幹線「新函館北斗駅」を降りて、クルマで少し走らせると、「北海道西洋農業発祥の地」でもある七飯町の道の駅なないろ・ななえがある。ここ七飯町は、近代北海道開拓のゲートウェイとなった場所であり、その歴史をこの道の駅で知ることができる。
実は、日本における近代農業は、幕末の1869(明治2)年、プロシア(現ドイツ)の商人がこの七飯の地に西洋式農場を開いたことに始まる。本国から農機具を持ち込み、さらに小麦・大麦・キャベツ・りんご・ぶどうなどの種苗を輸入し、日本で初めて本格的な西洋農業を実践した。
その後、明治政府の手に引き継がれた農場は「七重官園」として再出発し、北海道各地に先立って新しい作物や農法を試験する最前線となっていく。七重官園で育てられた技術と実習生たちは、その後の北海道開拓に大きな足跡を残していく。明治初期に看護師が育成される今の連続テレビ小説「風、薫る」の開拓士バージョンがここで繰り広げられたともいえる。北海道開拓が奥へ、奥へと広がっていく時代に、七飯町はそのゲートウェイとして機能していたのだ。
ちなみに、七飯町が日本農業史に刻んだもう一つの偉業が、「男爵いも」の誕生。1906(明治39)年、北海道に渡った川田龍吉男爵が七飯村に「清香園農場」を開設。1908(明治41)年、英国から輸入したじゃがいもを試験栽培したところ、早熟で病害虫に強く、味も良いと近隣農家の間で評判が広まった。大正期に種芋として出荷する際、「男爵・川田龍吉から譲り受けたいも」にちなんで「男爵いも」と命名される。やがて全国へと普及し、戦後の食糧難を救う主役として昭和の食卓を支えた。今、酒のつまみに欠かせないポテトサラダ、そして大好きなコロッケは、七飯町が存在しなければ、存在していないのかもしれない(言い過ぎかな…)。
さて、話を戻そう。北海道の在来種「どさんこ」でつなぐ「牧場・森・農園の暮らし」を体験させてくれる、どさんこミュゼ株式会社の代表であり、友人でもある宮本英樹氏は、北海道は道東の開拓に奔走した家系に生まれたという。忙しく多角経営を「楽しむ!」宮本氏は、オーベルジュ開業の仕事が沼田町であり、今回会うことは叶わなかったが、「実は、七飯に拠点を置いたのは、まさに家系のDNAともいえる開拓の魂の源がここにあったから」と話をしていた。そして、「北海道の開拓を支えた『どさんこ』という在来馬を守りながら、馬と人と自然が協働・共存する21世紀の開拓のあり方を開拓の原点に戻り、この地で魅せていきたいと思ったのです」と熱い思いを語ってくれていた。「だからこの土地は居心地がいいんですかね」(宮本氏)。
還暦も過ぎて実感することは、自分のルーツやDNAのつながりを意識にして「生きる」ということが、とってもここちよいことだということ。居場所があるといったらいいのであろうか。
私自身、父は青森県、母は三重県。今、お陰様でその二つの県で観光地域づくりを生業にさせていただいている。父方は宮大工の流れ・血筋、母方は学校の先生の流れ・血筋である。今の地域づくりという仕事、まさにDNAを受け継いでいるのかなとも思う。
宮大工ほどの技術は持ち合わせないが、その土地で何か生み出していく仕事にチャレンジしているつもりだ。そして古民家を所有していた傍島家では寺子屋が開かれていた場所だから、教育の血筋からか、通うことがここちよい、なんとなく宿命のような気もしている。
まさに、DNAと関りのある、その土地の空気感を味わいながら、さらにルーツでもある土地で仕事を遂行しているからここちよいのかもしれない。DNAと関わる場所にあえて訪れてみる、すると、そこで光と出会い、幸福を実感できるウェルネスな旅を経験できるかもしれない。

西洋農業発祥の地にある道の駅なないろ・ななえには、地元の野菜や道南自慢の食材が並ぶ。

コロナ前に道の駅にある七飯町の郷土料理の「いももち」の店。現在は閉店。香ばしい味が記憶に。

厳しい冬の乗り越えるための大切なエネルギー源として広まった素朴な一皿。

大沼流山牧場ではサホークも放牧している

そして、ホースセラピーを楽しませてくれる「どさんこ」たち
2026.6.23

