一般社団法人 かなぎ元気村 メールマガジン6月号
月日の移ろいは早く、もう一年の半分が終わります。6月21日は一年で最も日が長くなる夏至でした。後ろ向きの話をすれば、この日を境に段々日が短くなるわけで、時差のない日本列島であっても北日本と西日本の日照時間の差は明らかです。陽が長いと何だか得した気分になり、個人的に6月という季節は好きですね。齢とともにあたふたしてもしょうがないって気持ちが強く、穏やかな夕暮れ間際の時間をとても大切にしています。私の場合はまだ明るいうちから飲んでるって話ですけどね(笑)
人間の心理と日照時間の関係は、陽が長ければ前向きになり、短ければ後ろ向きになるのは事実らしく、青森県を筆頭とする北東北の短命傾向(特に自死率)はこうした日照時間の差に関連しているとも言われています。
「生まれついての性格は変えられないけど、考え方ひとつで人生は変わる」と言うのはよく聞く話です。「心が変われば行動が変わる→行動が変われば習慣が変わる→習慣が変われば人格が変わる→人格が変われば運命が変わる」言葉では納得しますが、この歳になるともう手遅れかもしれません。健康寿命維持のために行動と習慣は改善できそうな気もしますが、さりとて人格や運命を変えるほどのストイックな行動力は私ごときにはありません。明日は市の集団検診、さてどうなりますやら。
一般社団法人かなぎ元気村では、みなさんのそばにいつも『かなぎ元気村』ということでメルマガを配信しています。今月も奥津軽の小タヌキのコラムやクマのぼやきをお楽しみください。
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【目次】
1.太閤秀吉の話
2.シリーズ「記憶の断片」その27
3.ウェルネスコラム第44回
「自らのDNAを感じながら、その土地の持つ光に関わることのここちよさ」
4.あとがき
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1.太閤秀吉の話
ただ今放送中のNHK大河ドラマは豊臣兄弟ですが、津軽にとって豊臣秀吉とその子飼いの武将石田三成は深い関わりがあります。津軽藩の藩祖である為信はもともと南部家の家臣で、津軽平定のために鰺ヶ沢を拠点にして勢力拡大を図っていたが、主家に背いて津軽で分離独立をした、言うなれば下剋上大名です。分離独立のためには時の権力者である太閤秀吉から所領安堵のお墨付きが必要であり、それを親身に取り計らったのが石田三成という関係なので、津軽藩にとって太閤秀吉と石田三成は大恩人です。徳川の時代になってからは藩の存亡にかかわる秘密なので、そのことだけは歴代藩主がひた隠しにしており、明治になってから弘前城内の一角にある開かずの宮を開けたところ、木像の豊太閤座像が姿を現したという、いわば筋金入りの「隠れ豊臣派」なのです。
関ヶ原の戦において石田三成率いる西軍が敗れ、津軽家が密かに三成の次男重成を津軽領に逃がして杉山姓に改名させ、その杉山家は代々藩の重役として藩政を支えていました。更にもう一人、三成の三女辰姫は津軽の二代藩主信枚(のぶひら)の側室となり、三代藩主信義の母であることから津軽には石田三成の血が連綿と受け継がれているのは事実です。おまけにもう一つ面白いのは、豊臣秀頼は大阪夏の陣で自害したのではなく、薩摩に逃れて生き延びていたという話もあります。北の果て、南の果てに伝わる裏歴史はとても面白いですね。
前にもお伝えした気がしますが、津軽と薩摩は徳川幕府の外様大名でありながら一度も国替えのなかった藩です。その理由は、どちらの国衆気質も津軽で言うところのジョッパリ(意地っ張り)であるため、この厄介な人たちを上手く活用するには国替えをせず、北と南の防人として固定させた方がいいと言うのが幕府側の判断だったのでしょう。妙に納得できる話です。
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2.シリーズ「記憶の断片」その27
思い起こせば、38年前の1988年(昭和63年)の秋は滋賀県長浜市を訪れていました。かつて信用金庫の職員時代に千葉県の研修所で気心を交わした長浜信用金庫職員の個人的な誘いだったのですが、3日間にわたり琵琶湖周辺や京都市内の名所旧跡までかなり濃密に連れて行ってくださいました。長浜は羽柴(豊臣)秀吉が初めて一国一城の主となった場所で、復元された長浜城をスタートして大河ドラマに度々登場する、小谷城跡、賤ケ岳古戦場、安土城跡、彦根城、関ヶ原古戦場、霊峰伊吹山、古い寺社の数々。取り分け北国街道と近江商人の面影が残る掘割の街並みは私にとっては忘れられない素敵な光景そのものでした。夜の長浜のスナックで当時まだ新しかった吉幾三の津軽平野や雪国を恥ずかしげもなく歌ってたのが懐かしいです。
あの頃、全国信用金庫協会の研修所で禁酒令を無視して、夜になると私たちはドアや窓に毛布を張り、声を潜めて密かに持ち込んだ各地の酒を毎晩飲んでいました。研修所の宿直のおじさんが津軽人だという先輩からの申し送りを把握していたため、そうしたよしみで丸め込んでいたわけです。なので津軽信用金庫の伊藤の部屋に行けば酒が飲めるというので毎晩満員御礼。飲みの残骸は人目につかない置き場所を決めて津軽衆のおじさんが密かに消してくれるという有難い流れでしたので研修中の二週間、私は牢名主みたいに奉られていたのです(笑) 実にふざけた話ですが、この先たかが知れた老人にとっては時効話ほど面白いものはありません。気心を交わした長浜信用金庫のFさん、別府信用金庫のKさん、元気だったらまた飲みたいね。
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3. ウェルネスコラム第44回
「自らのDNAを感じながら、その土地の持つ光に関わることのここちよさ」
(一社)かなぎ元気村の理事木谷敏雄(通称奥津軽の小タヌキ)が「日本各地のウェルネス地域の探訪」を綴ります。この小タヌキは、日本各地のウェルネスツーリズムや最近でいうWell-Beingツーリズムによる観光地域づくりの感動請負人(コーディネーター)として各地を飛び回っていて、そこそこ活躍しているらしい(笑)そんな小タヌキのウェルネス地域探訪にお付き合いください。
※ウェルネスコラムはこちら
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4.あとがき
6月25日朝、突然テレビ画面が緊急地震速報(警報)に変わり、スマホのアラートが鳴り響きました。数秒後に強い横揺れが襲い、家が軋みはじめたのでたまらず屋外へ出ましたが、揺れは長く、得も言われぬ恐怖を感じました。震源は三陸沖、これまでに震源が集中している周辺でした。太平洋側の八戸市やその周辺は震度6強~6弱で、このレベルになるとまさしく恐怖そのものです。八戸方面は昨年12月にも同規模の地震に襲われてかなりの被害が発生していたので、建物やインフラは復興途中のダブルパンチでした。さらに不気味なことに、日をおかず関東や富士山周辺でも強い地震が発生し、そして今朝も再び強い揺れに襲われて飛び起きました。テレビで専門家らしき人が、今回の富士山周辺で発生した震度6弱の地震は火山活動ではないと強調していましたが、説得力に乏しく、不気味さは拭えませんね。
危機管理の領域というのは極めて多岐にわたりますが、目的は命を守ることに尽きます。私の浅はかな持論ですが、学校教育において早くから危機管理意識と対応実習を保険体育のカリキュラムにすべきと考えます。いざという時、その場に居合わせた人たちが助け合い、救命のためにALL FOR ONEでベストを尽くす意識を身につける教育です。私の友人が日本赤十字社救急法指導員としてボランティア活動をしていますが、この頃は学校で先生方が自主的に講習を受けたいという依頼が増えているそうです。憂いや不安が尽きない世界の中で、こうした意識改革が進み、子供たちも学習する機会が増えれば社会全体の危機管理意識が変わって行くのではと期待しています。
皆さま7月も息災でお過ごしください。
2026.6.29

